金沢の和菓子の普及の理由
金沢の土地は、祝い事や祭りのときに、和菓子をそなえることが多いそうです。
その理由はやはり加賀百万石の時代までさかのぼります。
加賀藩が力を入れた茶道の影響で栄えた和菓子の文化は、次第に一般庶民へと広まり、金沢の地に独特の菓子文化が根付いていきました。
市民にも和菓子が浸透していった要因は、真宗王国といわれる信仰心の厚い土地柄が挙げられます。
宗教行事とともに、和菓子は庶民にも欠かせないものとなっていきました。
金沢では昔から、報恩講の際に落雁や餅、饅頭、最中が盛大に供えられました。
それらは仏事の後、参加者に分け与えられ、門徒の楽しみともなっていました。
また、法事や僧侶の月参りでも和菓子は必需品であり、参詣日にはお寺が参詣客のために茶菓子を用意します。
門徒と寺院の間で行われる行事には必ずと言っていいほど和菓子が登場するわけです。
寺の参拝客への心遣いですね。
茶の湯は和菓子を洗練した芸術として質を高めていき、仏事による和菓子の必要性は、広く大衆的な和菓子の普及を促していったのです。
茶と、庶民への普及は和菓子の発展に多大な影響を与えます。
万人の舌を満足させる和菓子の追求、それが芸術性とともに必要となるのです。
このような理由から金沢では、季節や人生の節目に和菓子を用います。
彼岸のおはぎや、お祝いの際の紅白饅頭はもちろん、正月の福梅や辻占、桃の節句の金花糖、夏の氷室饅頭、七月の土用に食べるささげ餅など、庶民生活と和菓子は密着したものとなっていきました。
また、安産を願うころころ団子、赤ちゃんの誕生を祝う杵巻きや巾着餅、婚礼の際の五色生菓子など、いわゆる縁起菓子が数多く存在しています。
寺社菓子、縁起菓子、祝い菓子、四季折々の菓子は、いまでも暮らしの中に生きており、市民生活のコミュニケーションを担う役割も果たしています。
金沢の方々の心をささえる和菓子、その和菓子は洗練と普及の二つの道を見事に通ってきたものです。