和菓子の菓銘
和菓子には、花鳥風月や自然の風物、和歌俳句や文学、郷土の歴史や地名などから生まれた「菓銘」がついています菓銘でその和菓子の歴史が分かるほどのものです。
どの和菓子にも必ずと言って良い程「由来」があります。
そのことを知って召し上がって頂くことが和菓子の味わいを一層深めます。
そのことを知って召し上がって頂くことが和菓子の味わいを一層深めます。
今日は春の和菓子の桜餅について考えます。
桜餅を作った人物として有名なのが、山本新六(やまもと・しんろく)という人物です。
享保(きょうほう)2年(1717)、桜の名所として知られていた江戸・向島(むこうじま)に、長命寺(ちょうめいじ)というお寺がありました。
享保(きょうほう)2年(1717)、桜の名所として知られていた江戸・向島(むこうじま)に、長命寺(ちょうめいじ)というお寺がありました。
このお寺の門番だったのが、山本新六でした。
桜の落ち葉を掃除するのに悩まされ、落ち葉を何かに使えないものかと考え出し、初めは落ち葉だけを醤油樽(しょうゆだる)に漬けて売り出しました(新六は醤油で有名な銚子出身でした)。
桜の落ち葉を掃除するのに悩まされ、落ち葉を何かに使えないものかと考え出し、初めは落ち葉だけを醤油樽(しょうゆだる)に漬けて売り出しました(新六は醤油で有名な銚子出身でした)。
しかし、すぐに飽きられたため、桜の葉を塩漬けにし、小麦粉溶いて薄く白焼きにした皮に、アズキのこしあんを包んで2つ折りにし、桜の葉を塩抜きにして包み、売り出したのが桜餅でした。
たちまち名物となり、それから100年以上たった文政(ぶんせい)7年(1824年)の1年間に、1日1000個以上(およそ38万5千個)の桜餅が売れたという記録も…。
(なお、現在も子孫が長命寺(ちょうめいじ)門前で「山本や」という店を経営されており、桜餅を作っています。)
(なお、現在も子孫が長命寺(ちょうめいじ)門前で「山本や」という店を経営されており、桜餅を作っています。)
しかし、桜餅は京都が発祥の地であるという説もあります。
民俗学者の南方熊楠はその説を唱えています。
和菓子は長い歴史のなかで育まれたもの。
その歴史をいただいているということも、忘れることのないようにしたいものです。