春の和菓子 大特集: 和菓子の歴史



2008年06月05日

和菓子の歴史 松江風流堂の「山川」

和菓子の歴史をたどっていくと、いろんな和菓子に出会えます。

そしてやはり日本三大銘菓といわれる和菓子については、ことさらに歴史を感じてしまいます。

ここでは松江風流堂の「山川」について考えてみたいと思います。

松江風流堂さんの歴史も古いですね。

第七代松江藩主松平不昧公は教養のある文化人であったので、茶道にも関心が高く茶や茶器だけでなく茶菓子にも非常に造詣が深かったようです。

和菓子は文化人によって洗練される傾向がありますね。

大衆の和菓子にはそれぞれのよさがあります。

歴史のなかで洗練された和菓子にもまた別のよさを感じてしまいます。

さて十八歳で茶道に出会った松平不昧公は、数多くの茶会を開催しさらに茶会の様子を記録として残していたのです。

松江風流堂・山川では松平不昧公が開催した茶会の記録を基にして「不昧公好み」銘菓の中でも有名な「山川」を復活させたのです。

松江風流堂では松平不昧公からの伝統を今に受け継ぎ「若草」「朝汐」「路芝」などの和菓子を作っています。

落雁の一種であるが、紅白一対になっていて、手で割った時の凹凸がまるで山と川の様に見える為、治郷の詠んだ「ちるは浮き 散らぬは沈む 紅葉はの 影は高雄の 山川の水」と言う歌より命名したといわれています。

やはり日本三大銘菓の一つといわれる「山川」は、茶によく合うようにととのえてあり、甘味と薄い塩味で、しっとりとしたものです。

甘味と塩味は高級餡にも使われますが、この「山川」の上品さは、お茶を決して脇役にしないこの味にもあるのです。

松江風流堂はJR松江駅から松江城に向かって歩くとすぐに寺町店、次が本店があります。

さらにお城に向かうと京橋店があり、お城の裏には塩見縄手店があります。

特に塩見縄手店は武家屋敷の中にあるため非常に落ち着いた店構えとなっています。

お菓子を購入することとお店を見て楽しむことが一緒に出来ます。

風流を味わえる「山川」は三大銘菓にふさわしいものです。

posted by けんしろう at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 和菓子の歴史
2008年06月04日

和菓子 その込められた意味

和菓子の意味を知りながら、いただくことは味と意味の両方をたのしめます。

和菓子には、さまざまな意味が込められていることが多いです。

年中行事と一緒になっていることが多いですね。

和菓子には、その年中行事の意味と密接にかかわっているものが多いです。

たとえば端午の節句が有名でしょうか?

和菓子の柏餅は端午の節句のときに食べる風習があります。

前者が日本のオリジナルであって、後者は中国から伝わってきたものです。

柏餅には子孫繁栄の意味が込められています。

柏の葉には「新芽が出ない限り古い葉が落ちない」という性質があり、それにあやかって江戸時代のころから食べられるようになりました。

また月見のときに食べる月見団子にも意味があります。

十五夜の、「月」に感謝の意味を込めて、月に見立てた「白団子」を15個供えて、お祝いをしたと言う事です。

これは江戸時代に入ってからのようですが。

和菓子の意味は以前にも少し取り上げたことがあります。

銘菓というものがそうです。

味、におい、舌触り、などを和菓子では楽しみます。

これらの部分をさらに引き立てるのが、和菓子の意味を知ることではないでしょうか?

和菓子の意味を語りながら、お茶のひと時を過ごす、日本人として最高の瞬間であるような気がします。

四季を表現する和菓子、その意味を知り表現しているものを知ることは、古くからの伝統を大切にした私たちの祖先を訪ねる気がします。

小さな和菓子に大きな物語が隠されているかもしれません。

posted by けんしろう at 01:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 和菓子の歴史
2008年05月16日

和菓子の日

和菓子の記念日
 
 
もうすぐ和菓子の日です。
和菓子の日(6月16日) は1979年(昭和54年)に設定されました。
あまり知られていませんね。
しかし和菓子の日が設定されたのにはいろいろな理由があります。
美しい日本の四季と歴史の中で育まれてきた民族の味『和菓子』の素晴しさをもっともっとお客様に親しんでいただきたいとの願いです。

また、和菓子を作る人も、この優れた日本の食文化を正しく隆盛に後世に伝え残すために一層の努力を積み重ねていこう、と願って設定された日です。
ではなぜ6月16日になったのでしょうか?
この日の由来は、平安時代848年頃、当時国内に疫病が流行ったことから仁明天皇が元号を「嘉祥」とあらため6月16日に16の数に因んだ菓子、餅を神に供えて疫病除け、健康招福を祈った古例に始ると言われています。

その後、後嵯峨天皇(1220〜1271年)が吉例として行ったのをはじめ室町時代には年中行事として行われるようになったことが「武徳編年集成」その他たくさんの古書に記されています。
江戸時代になると、大切な祭りのひとつに数えられました。
幕府では御目見得以上の士分に大広間で菓子を賜り、これを嘉祥頂戴といいました。
町方でも嘉祥喰といって、嘉定通宝16枚で菓子を求めて食す、また、米1升6合と菓子を交換して食べるなどし、疫病退散健康招福を祈願する行事として盛んに行われました。

この由来を現在によみがえらせたのが「和菓子の日」です。
ご家族や親しい方々の健康を願って和菓子を贈る、和菓子を食べる。
和菓子が日本の文化として広く日本全国、そして世界へと広がることを願っている日です。

和菓子の人を幸せにする力、見るものを感動させる和菓子、和菓子を思う日として心にとどめておいてください。
 

posted by けんしろう at 00:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 和菓子の歴史
2008年04月16日

春の和菓子 桜餅の歴史

和菓子の菓銘

和菓子には、花鳥風月や自然の風物、和歌俳句や文学、郷土の歴史や地名などから生まれた「菓銘」がついています
菓銘でその和菓子の歴史が分かるほどのものです。
どの和菓子にも必ずと言って良い程「由来」があります。
そのことを知って召し上がって頂くことが和菓子の味わいを一層深めます。

今日は春の和菓子の桜餅について考えます。

桜餅を作った人物として有名なのが、山本新六(やまもと・しんろく)という人物です。
享保(きょうほう)2年(1717)、桜の名所として知られていた江戸・向島(むこうじま)に、長命寺(ちょうめいじ)というお寺がありました。
このお寺の門番だったのが、山本新六でした。
桜の落ち葉を掃除するのに悩まされ、落ち葉を何かに使えないものかと考え出し、初めは落ち葉だけを醤油樽(しょうゆだる)に漬けて売り出しました(新六は醤油で有名な銚子出身でした)。
しかし、すぐに飽きられたため、桜の葉を塩漬けにし、小麦粉溶いて薄く白焼きにした皮に、アズキのこしあんを包んで2つ折りにし、桜の葉を塩抜きにして包み、売り出したのが桜餅でした。
たちまち名物となり、それから100年以上たった文政(ぶんせい)7年(1824年)の1年間に、1日1000個以上(およそ38万5千個)の桜餅が売れたという記録も…。
(なお、現在も子孫が長命寺(ちょうめいじ)門前で「山本や」という店を経営されており、桜餅を作っています。)

しかし、桜餅は京都が発祥の地であるという説もあります。
民俗学者の南方熊楠はその説を唱えています。

和菓子は長い歴史のなかで育まれたもの。
その歴史をいただいているということも、忘れることのないようにしたいものです。

posted by けんしろう at 22:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 和菓子の歴史
2008年04月12日

和菓子 その歴史

和菓子の歴史

 

歴史をたどると・・・

 
古代人にとっての菓子は、天然の果物や木の実であり『果子』であったと考えられています。
特に果物は最高の菓子でした。

その後、穀物加工の技術が生まれ「餅・団子」が作られるようになり、甘葛煎(あまずらに)など蔓あまちゃを 煮詰めた甘味が生まれたり、米もやしから飴が作られたりしました。
人が加工することで、美味しさをプラスできるようになりました。

その後、時代が進み遣唐使が大陸に渡るようになり、唐菓子(からがし)が移入され、粉をこねたり油で揚げるなどの 技術が伝わりましたが、多くは祭神用として尊ばれたようです。

喫茶と和菓子


やがて茶が伝わって喫茶の習慣が発達します。
日本茶、抹茶などの茶請けとしての側面も和菓子が持つようになりました。
その頃になると菓子も趣向をこらすようになり製菓技術は飛躍的に進歩します。
味そして、見た目の芸術性も追求されていきます。
また、南蛮菓子も渡来し、カステイラ、ボーロ、ビスカウト、こんぺい糖、有平糖などが紹介されましたが、これらの菓子の製法が和菓子の発展に大きく寄与しました。
和三盆などの砂糖も使われました。
 

更なる和菓子の躍進

江戸時代になると京都を中心とした「京菓子」と江戸を中心とした「上菓子」が競い合って、和菓子製造技術は大きく発展し、現代の和菓子とほとんど変わらない優れたものが数多く生まれました。
競い合いは、桜餅の形などに見て取れますね。
ライバルの存在が和菓子を更なる飛躍へと導きました。

そして、明治となり、西洋菓子が伝わりますが、これも和菓子の成長にとって多大な影響をもたらしました。

 古代の穀物加工技術の発展に加えて唐菓子、南蛮菓子、西洋菓子の影響を受けた 和菓子の技法は、さらに日本独特の文化と伝統の中で育まれて今日を迎えているといえるでしょう。
これは、日本人が新しい技術を受け入れて、それを吸収し自分のものとして、その中から新しい日本独自の和菓子を創り出してきたことを示すものでもあります。

餅に洋風のクリームの入れたり、チーズを使ったりなど、和菓子も西洋菓子の良いところを取り入れ、新しい和菓子が次々生まれています。
 

posted by けんしろう at 14:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 和菓子の歴史